火はどこへ行ったのか。

物事の根源と向き合うことは、自分と対峙することでもあります。連載「The root.」では、普段は無意識の中にあるような事象を取り出し、深く観察することで生まれる感覚の言語化を試みます。

_DSC4693.jpg

火で調理をし、明かりや暖をとる。

太古の昔から、火は、生きていくために欠かせないものだった。


人は、火の周りに集まって食事をした。

「フォーカス(中心)」という言葉のもともとの意味は「炉」であるとおり、

暮らしの真ん中には、囲炉裏があった。


ところが、科学技術の進歩が暮らしの中の火を見えないものにして、

自然の火を見るのは、非日常のことになった。

「炎上」という言葉がネット用語として存在するように、大きく乖離した場所で頻繁に使われるようにもなった。


人だけが、火を支配することを学んだ。

しかし火は本来、人が抑制することのできないものである。火という自然の力は、人という存在の虚無性を映し出すものでもあったはずである。


火はどこへ行ったのか。


原子爆弾や原子力発電といった、ごくわずかな研究者にしか手の届かない世界に行ってはいないか。

闇を照らす照明によって輝く星空を失ってしまったように、火を中心に家族や社会を形成してきた精神性を忘れた代償が、どこかにないだろうか。


「火のないところに煙(=うわさ)は立たぬ」という諺がある。

この火とは、根拠であり、事実である。


つまり、おそらく火は、私たちの根源に存在するのだ。


文 増村 江利子

写真 伊丹 豪

THE ROOT.SIRI SIRI